雑記

慢性疲労症候群という病気について

慢性疲労症候群の恐怖を伝えたい! 最強の敵は周囲の無理解。

俺は軽症だった。これに尽きる。そうでなければ俺は死んでいたかもしれない。
この病気を知っている人なら怒るかもしれない。でも、この病気を罹患した人なら納得してくれると思う
この病気の真の恐怖は周囲の無理解だろう。だが周りに責任を転嫁できるわけではない、理解させづらく、医者でも判断が難しい。そんな病気だ。そして、社会人としてある意味死を迎える、そんな恐ろしい病気だ。
俺は一応軽症であり、もちろんこの病気なので寛解という状況で、2年に1度ほど突如発症したりする。1日横になっていれば治るぐらいなので自分としてはこれ以上悪化しないことを祈っている。
では、バスケは良いのか? という疑問を持つ人はいると思うが、そういうストレスのない運動に関してはほぼ発症しない(俺の場合は、であるが)。この結論に達するのにもいろいろ試行錯誤したものだ。

周囲の無理解を少しでも減らせることが出来ればと考え、記事にすることにした。

  1. 症状
  2. 発症原因
  3. 周囲の無理解
  4. 寛解
  5. 同様の症状を持って居る人に対して

症状:人によるというのがこの病気の難しいところ

慢性疲労と書いてあるから、漠然としんどいのかな? と思う人が多いと思う。でも、俺の場合はそれこそ動けなくなる。
最初は「あれ? おかしいな」程度から微熱と共に疲労感が増す。この時点で風邪かと思い、風邪薬なんかを買ってみたりする。でも、鼻水や関節の痛みなどの諸症状がなく、徐々に疲労感のみが増していったところで気づく。
この状態になるのに1日かかる。あとは布団で寝ていればゆっくりと回復していくのだが、もちろん俺の場合は、である。

何故、俺の場合は、を連呼するかというと、人によって症状が全く違うからである。恐ろしい話、ゆっくり回復していくという部分がない人もいるぐらい重症の人もいる。五体満足であり、消化器官等々一切の異常がない。でも、動けない。症状を言い表そうと思うと「疲れた」以外表しようがないのだ。

発症原因:俺の場合はストレスと過度の疲労

特定されていない。海外では集団で罹患したという事例もあるぐらい謎の病気である。でも俺の場合はほぼ確定している。

仕事頑張りすぎ、である。

工場の激務に全力で3年やり続けたからだ。一切、手を抜かず、周りからのプレッシャーもきつく、とにかくストレスの中、全力を尽くした。

症状が出た後の苦闘:貯金はしておくべき、がしかし自己投資も怠れないジレンマは今も苦闘中!

ある日、突如帰宅途中後ろから殴られたように視界が歪み全身から力が抜けた。全く予兆などなかった。

脳梗塞か? と疑ったが、頭痛などの症状はなく、翌日普通に出勤できた。その日から1時間業務ができなかった。
すぐに疲れる。横になれば1時間ほどで回復するが、疲労の具合が意味わからないぐらい強く、とにかく動けなくなる。
出勤しても帰るしかない日々を数日間すごし、そして会社から病院に通う日々に変わった。

初めは「脱水症状」と言われる。でも、家でじっとしてる時も突如動けなくなるほどの疲労感が襲ってくることに気づき完全に「おかしい」と理解した。

「脳じゃね」と同僚から言われ、脳神経外科の診療所へ。この医者が名医だった。

だが、俺は混乱していた。

この医者が俺を見るなり「微熱がありますね、慢性疲労症候群の初期です、家で休んでください。傷病手当金の書類も書きます」と言われた。
俺もいろいろネットとかで調べてしまっていたから、この時思ってしまったんだ。「そんなバカな! 違うはず!」と。

漢方薬を出され「ゆで卵を一杯食べてください」と言われ混乱してしまった。そして「この医者はダメだ」と考えてしまった。
医者を過度に信用してはいけないと思うが、自分で調べた知識を頼ってしまっては絶対にダメだとこの時学んだ。

そのあといろいろな病院を回り「重症筋無力症」だったり「線維筋痛症」だったりいろいろな病名をつけられたが、結局「慢性疲労症候群」に落ち着いた。

ここにいたるまで3か月かかった。通った病院の数は10近くになった。大学病院から小さな診療所、心療内科にも通った。他県をまたがって、数か月地獄のような日々だた。

もちろん金銭的な意味でも、地獄だった。
工場勤務のときにほとんどお金は使っていなかったにもかかわらず、一瞬で貯金は溶けた。

 

周囲の無理解:誰も味方がいなくなる恐怖。

俺の場合、そこに、「慢性疲労症候群」にたどり着けたから良かった。運が良かった。

たぶん多くの人が、そこに、すらたどり着けない人たちがいるのではないかと俺は思っている。俺の場合は運よく傷病手当金も出て、とりあえず金銭面での死ぬことはなかった。この傷病手当金が出るまでも非常に苦労した。何度もいろいろなところに電話をかけ、嘆願書を書き、電話がかかってきて5か月ぐらいかかった。

この病気の真の恐ろしいところは周囲の無理解である。
それは家族はもちろん、医者、会社、全てだ。

俺の場合親から「あんたいい加減にしなさい。さぼるのはやめなさい」とか言われた。ちなみに俺はこのことを死ぬまで許さないつもりだ。

それほど深く傷ついた。

一番信じてほしい家族が一番最初に裏切ってきた。そう感じたのだ。
なんせ、厚労省の傷病の認定条件がこの病気は半年間ありとあらゆる検査をしてそれでも症状が持続した場合認定されるというもの。

すなわち、ありとあらゆる可能性を排除したのち、半年待機、である。

もちろん検査もただではない。会社での業務など継続できるわけもない。辞めるしかない。医者が味方になってくれるかというと、そうではなくほとんどの医者が詐病を疑ってくる。なんせそういう詐欺行為が横行したことがあるからだ。医者から明らかに疑われている、感じた時の恐怖感は味わったことがない人にしかわからない。絶望感が半端ない。
五体満足、内臓も元気なまま、食事は普通に取れて、普通の時は何のこともない普通の人間だ。誰が病気で動けない、なんて信じてくれるものか。

半年間収入はなく、金銭は溶け、仕事はなく、絶望しか見えなくなる。
正直この時ばかりは結婚していなくてよかった、と思った。家族を抱えていたら、そして自身に保険金などかけていたら、本当に死ぬしか方法がなくなっていたと思う。
その恐怖があるから今も独身でいる(縁がないということもあるけど)。

 

寛解後の苦難。誰が俺を雇いたいと思うか!

俺の場合は半年でほとんど症状が出なくなった。突如手が震えだしたり、疲れたりすることがあったが、おおむね通常生活は送れるようになった。
と、なると今度の問題は、どう生きるか? だ。
男として、生きるのに肉体労働はもうできない。それだけでほぼ半分以上の仕事ができなくなるのだ。

「営業とかあるじゃん」という方、営業って歩くのよ、ひたすら。移動するのも体にかける負担はかなりきつい。
それこそプログラムとか頭を使う仕事に就く以外無くなった時点で就職口は半分以下になる。未経験IT土方なんてなったら地獄しか待っていないことは自明の理である。
俺の場合、肉体労働とストレスがセットになっていたと思うので過度のストレスも禁物。一体、何の仕事ができる?

たまたま、俺の場合は諸条件で適合する今の仕事にありついたが、基本相当に就職は苦労するはずだ。
雇う側もいつ発症して来なくなるような人間を雇いたい、と思うかと。

この時俺は資格取得以外人生の選択肢をほとんど失った、と言っていい。頭が悪いので非常に苦労はしているが、資格という制度があって本当に助かった。もちろん、世間を広く見渡せばまだまだいろいろな可能性が存在したことは何年もかかってわかって来た。このブログもそうだ。
だが、純粋にインフルエンサーなんか通常の人がなれるなんてことはなく、今日昨日思いいたって翌日になれました。なんてこともない。ミュージシャンのごとく、地道な下地を固めた人間だけしかなれない。もちろんカリスマ性が不可欠でもある。

手元にお金を失ってきた人間は思考力も奪われる。下手すれば無能な経営者の元、ブラック社畜になり、再び病気を発症して再起不能に陥っていたかもしれない。
働く気がないわけではないが人間として条件がつけられてしまった、そういう人の苦しみが理解できた。

俺はまだましである。

日々、そう感謝できる。

 

同様の症状を持っている人について:とにかく自己判断はやめて、セカンドオピニオンを活用しなさい

俺のブログを見て判断は決してしてはいけない。たとえ全く同じであっても原因が違う場合もある。だが、医者を全面的に信じてはいけない。こちらが信用していても、医者がこちらを信用していない場合があるからだ。

そんなときは躊躇せずセカンドオピニオンを申し込もう。俺はいろいろ遠回りした。
混乱するし、絶望するかもしれない。でも、必ず理解してくれる人がいる。最後、そういう人に巡り合えた。もちろん、俺は愚かで最初の脳神経外科の先生に従っていればここまで苦悩することはなかっただろう。

縁の問題ともいえるかもしれないが、自助努力が何よりカギを握っていることも確かである。とにかく諦めないことが重要だ。
苦しみを訴え伝えることをあきらめないでほしい。これは本当に別の意味で苦しく、つらい事なのはよく理解できる。周囲の無理解は必ずある。信用できる人間と、そうでない人間が明らかになる。
それでも生きることを諦めないでほしい。必ず逆転のチャンスが出てくるし、工夫さえすれば困難をクリアできる。

この病気は、それ単体では死ぬことはない。それだけでマシ。唯一の救いである。

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