雑記

【ヘルニア闘病記その4】待ちに待った退院、そして地獄へ突き落とされる

【ヘルニア闘病記その4】待ちに待った退院、そして地獄へ突き落とされる

反省? どこで? どこに? 何が悪かった? そんな言葉に終始苛まれた一週間だった。誰であれ失敗はあるし、どうしようもない理不尽なまでの現実がある。どうして自分ばっかり、なんでこんなことに、と周囲に当たってしまう気持ちもわかる。でも、そんな事になったときに冷静に起こった事実を受け止めて未来に向けて対策を冷静に考える。常に考え行動する事を諦めない、そんな大人になるために今を頑張っている。

【ヘルニア闘病記その3】ついに入院、手術、術後退院まで

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・退院

・その翌日

・そのまた翌日

・検査終了後ブロック注射へ

・退院

入院日が4/6、手術日が4/7、そして退院日が4/12となった。本当は4/16だったけど諸般の事情で12日にした。もしかしたらこの決定が一生悔やむ原因になったかもしれない。

退院までに例の排尿の痛みは完全に軽減され、ゆっくりと毎日病棟を歩き回り、軽いスクワットと足首の運動でリハビリを行う。それでも狭い病棟内、運動するにも限界があって弱った体であっても力を持て余した。

そして一番の問題である勉強の遅れも取り戻すべく、徐々に座る時間を長くしていく。痛みの原因が取り除かれているので、今までの痛みは思い出したようにビリっと来る以外はほとんど来なかった。座ると術後の傷跡が引きつられて痛む程度。勉強には全く問題なく。次々と課題をこなすことができた。

退院日当日もほとんど顔を出さなかった主治医は顔を出さず、入院してから合計で数分しか病室に足を運ばなかった。ドクターの悪口を言うのはここで初めてだが、ずっと引っかかっていたところはあった。このドクターはあちきの病気と向き合っているのではなく、ただ、手術と向き合っているようなドクターだと感じていた。術後の経過もあまり気になっていない、というのが態度に現れていたように思う。

退院日前日に現れ最後の様子を見に来たドクター曰く、「別に普通に生活して大丈夫です、なんなら仕事復帰もすぐして大丈夫です」とのこと。

それならば4/16の抜糸が終わったらすぐに仕事に復帰しよう。職場のみんなにも迷惑かけてるし、頑張ってリハビリして弱った筋力を取り戻していつもどおりの日常を取り戻そう。

そう考えるよね。普通は。

朝食を食べて手続きをして、お金を払って退院へ。

日常へ意気揚々と帰っていった。



・その翌日

退院日も近所の散歩は欠かさず行い、その翌日たる今日も近所の散歩、そして着席して勉強に励む。1時間ぐらい座るとやはり傷口が引きつり痛む。でも痛みの原因である右尻から右足にかけての痛みはもはや全く感じなかった。

超絶嬉しかった。

後顧の憂いなく普通に生活できる。あとは徐々にその負荷を強めて仕事復帰できるまでに筋力をつけるだけ。

そう思いながら日常生活と座るという行為を繰り返して、昼過ぎになり、食器を片付けるため、皿を下の方にある棚になおそうと、腕を伸ばした、その時、その何気ない動作の、本当に負荷もかかっていない何気ない日常動作、そんな動作をしたときに、それ、は起こった。

ビシっと鋭い痛みが右尻から右足にかけて走ったのだ。

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今まで感じたことのないレベルでの痛み、「え? 嘘」という言葉を繰り返す。

試しに歩いてみる。ビリビリとしびれが走り激痛が右尻を襲う。脂汗が滴り落ちた。

少し動く痛む、それがどんどん蓄積していき、ベッドになんとか倒れ込んだ。今までとは比較にならないほどの痛み、かつての痛みが10だとしたら100レベルだった。

4/13  腰椎椎間板ヘルニア再発

手術後約1週間で再発したのだ。しかもかなりグレードアップして襲いかかってきた。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ」と半泣きになりながらつぶやく。

手術後の痛み、苦悩がすべて水泡と帰した瞬間だった。その痛みたるやほんの数歩歩こうとしただけで叫び声を上げるほどの痛み。満足にトイレに行けず、帰ってきてベッドに倒れてから30分ほどその痛みに悶て唸り声を上げるレベル。

なんとか携帯を取り病院に電話する。そして現状を伝えた。

「今来てもらってもドクターがいないので対処できません、明日来てください」という嘘みたいな返答。ありえない! 昨日まで入院していて、オタクのところで手術したんだぞ、という言葉を飲み込んで「わかりました、明日行きます」と答えた。

しかし、普通に生活していた体は水分を溜め込んでいたのか、すぐに尿意を催す。痛みに耐えながら歩き、ベッドに倒れ込んではのたうち回るというのを数回繰り返す。

痛みで痙攣まで引き起こしていたらしい。

地獄のような夜を過ごし、翌日になる。

・そのまた翌日

4/14

友人などに病院に行く手伝いをお願いしたけど、予定が合わなかった。タクシーを頼もうとしたけど、階段までたどり着く自信がない。高いが、介護タクシーを頼もうと思った。それでもこの成年男子一人を運ぶには2人以上の屈強な男が必要になる。人の手配がうまく行かずどうしても昼過ぎになる、とのこと。介護タクシーも頼めない、そう考え、やむを得ず救急車を依頼することにした。

7時過ぎ、痛みに悶ている状況でとりあえず病院の救急部で最低限の診察をしてもらいながら外来を待つことができるはずだ、と思い救急車を手配する。

そして、救急隊の到着。

事情を伝え救急搬送の受け入れ確認をしてもらった。そしたら信じられないことに、受け入れを拒否されたのだ。他の近医へ行け、とのこと。

正直これはありえない、そう思った。

近医へ行ったところでどうせ手術した病院へ行ってくれ、と言われるだけ。たらい回しに合うだけだ。短期再発に救急搬送受け入れ拒否、病院への不信感がマックスへとなる。

痛みに悶ている、次の瞬間どうなるかわからないような患者を放置したのだ。

仕方なく一旦は救急隊には帰ってもらい、外来が開く時間まで待って整形外科外来に受け入れることを確認してからもう一度搬送してもらった。

搬送されながらも凄まじい痛みが右足を襲う。うなりながら約15分ほどで病院へ到着した。そして、外来の近くのストレッチャーに移されてドクターが来るまでに体温、血圧などが測られる。

「ん? 熱がありますよ37.4度」

と看護師に言われる。そこからは対応が変わった。別室へ移動そこで採血、血圧測定を行い、さらにPCR検査が施行された。細長い棒の先に大きな採取用のスポンジが付いたモノを鼻の中に挿入される。痛いですよ、とは聞いていたが不快感とかなりの痛みに悶える。両方の鼻に入れられ散々悶えたあと、「あと一本」と言われて愕然とした。合計3本、かなりきつかった。

その間も右足にはしびれと、痛みが断続的に続く。

検査終了後別室で隔離される。その間も不安に苛まれながら、痛みに悶ていた。30分ほど経ったあと陰性が伝えられる。痛みで発熱していたようだ。急いで家族に陰性を伝え、かなりホッとした。

それでもヘルニアが改善されるわけではないので地獄の痛みは継続してた。そのままMRI室に運ばれる。ストレッチャーが動くたびに激痛が右足に発生する。痛みに悶ながら順番待ちをする。

20分ぐらい経った程にMRI室に移動。ストレッチャーからMRIに移るときの痛みも凄まじく、叫びながら移った。

15分ほど例の騒音の中安静にする。そして終了。再び叫びながらストレッチャーに移動した。痛みの伴う行動をした30分ほど痛みの残滓に苦しむ。痛みが落ち着くのに時間がかかるのだ。



・検査終了後、ブロック注射へ

一通り検査が終了し、さらに30分ほど待ったあと主治医が手術が終了し診察室に戻ってきた。あちきの診察が始まる。MRIを一緒に見るとものの見事に再発していた。

く前回と変わらない状態に呆然とする。あの手術の苦痛と苦悩が無意味だったと突きつけられた。「一体何が悪かったのか?」と自問自答をする。

しかし、前回までの症状は片足を引きずる程度なのに、再発後は日常生活も不可能なほどの痛み。その痛みの差が意味わからなかった。主治医も明確な答えを言わない。というか、この先生は何につけても説明不足。言葉が決定的に少なかった。その上、納得するような一言もない。

聞かなきゃ答えないし、聞いても一番知りたい情報は言ってくれない、そんなドクターだった。

さすがに、イラッとした。もうあちきの心はこの病院からは離れていた。

別の病院を紹介してもらおう。

家族と綿密に相談しながら、今後の対応策を練る。

再発したのは仕方ない、病院は不信感がひどいので病院を変更する、一応再手術の用意はしてくれいているらいしいがこれ以上手術したくない、かつこの病院での手術はお断りしたい、再発はしたが前回と同じ程度のヘルニアで痛みだけが10倍になっている、手術を一回しているので髄核の内容量は減っている、すなわち様子見していけばへっこむ可能性が高いのではないか?

という感じで情報が整理できてきた。

問題は痛み、だ。このままでは日常生活、というか家に帰ることすらできない。できればやりたくなかったけど、ブロック注射なるものがあるということは知っていた。

メリット

・痛みがなくなる

デメリット

・ただなくなるだけ、痛みをごまかしているだけなので麻酔が切れたら再び地獄

・癖になる

でも背に腹は代えられない。やるしかなかった。

保存治療で今後は行うことを主治医に伝えると、「では注射で対応しましょうか」と言った。こちらからブロック注射の話を言ったわけではないけど主治医もブロック注射のことは考えていたらしい。しかし、ブロック注射をしてほしいとは思っていたが、このドクターは注射としか言わず、どんな注射なのか、どの程度の効能なのか、どういった副作用があるのか、今後どうすべきか?などの情報は一切言わずただ「うつ伏せになったください」しか言わなかった。

本当に駄目なドクターだった。こうなったら手術も本当にうまくいったのか? と疑いたくなってきた。再発の期間が早すぎるのではないか? 絶対安静とは言われなかったし、日常生活は送っていいいと言ったよね? こんな日常動作で再発するなら日常生活そのものも送れないことになる。あんたのミスでは? という言葉を飲み込んだ。

ドクターは尾てい骨あたりを触りながら消毒をする。ネットの噂でこのブロック注射もかなりの苦痛になると聞いていたので自然と力が入った。チクリと痛みが走る。一本目の注射だろう、多分麻酔薬。そして念入りに薬剤を混ぜたり駐車する位置を確認している、そして1分ほど経ってから、更にチクリ、そしてグイイイイと針が入ってきて薬剤が投入される感覚になる、不快感と痛みが同時に尾てい骨あたりに起こる。それが中々長時間ずっと続く。一瞬ならさして問題ない痛みだがいつ終わるとも思えない時間が経過することでかなりの痛みになった。歯を食いしばり耐えていると、ドクターから「力抜いてください」と言われた。

深呼吸して力を抜く、そして3本目、2本目と同様の痛みに耐えてブロック注射が終了した。

右足の痛みなので右を下に横を向いて寝る。15分ほどしたら妙にしびれた感覚とともに起き上がっても痛みを感じなくなっていた。でも明らかに麻酔の影響だろうという痺れる感覚は右足に残っている。

今日一日でどれだけの苦痛を味わっただろうか。一生分の苦痛と苦悩を味わった気がする。

そして、そのまま車椅子でこの病院を後にした。

「もう二度と来るまい」そう思いながら。

その5へ続く

【ヘルニア闘病記その5】新しい病院、ヘルニコア注射の苦悩

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