雑記

【ヘルニア闘病記その2】その1の続きです。ヘルニア闘病記

【椎間板ヘルニアその2】その1の続きです。ヘルニア闘病記

前回の続きからです。ドライカレーを作る際の工程で普段使わない筋肉を酷使させてしまい、椎間板ヘルニアになった。んで、整形外科でリハビリを行うも徐々に悪化していった、という1回目。2回目はそこから試行錯誤していきます。仕事、資格勉強、家庭という板挟みに会い徐々に追い詰められていく人生について書こうと思います。残念ながら現在進行系です。

【ヘルニア闘病記その1】まさに晴天の霹靂。椎間板ヘルニアになりました!

【椎間板ヘルニア1回目】まさに晴天の霹靂。椎間板ヘルニアになりました! 病気になってから自らの健康に感謝するというのはよく聞く話。まさにそれを今実感しております。全くもって現在進行形で人間の生活を送れ ...

続きを見る

・リハビリを続ける?

・再び思わぬ形での助言

・針での改善

・2回めの針

・MRIによる診断後

・手術への決意

・リハビリ続ける?

とにかく仕事に関して継続できなくなりそうだった。重いものも運べないし、座れないし、休憩では体を横にしないとならない。デスクワークが絶望的だったので、今の職場に無理を行ってなんとか上記に当てはまるような仕事を振り分けてもらい、ごまかしごまかし仕事を継続することとなった。実際あちきの職場は万年人不足でこんな病人でも来てくれるだけでありがたい、という状態。

そんな職場の中でも奇跡的に、軽いものしか運ばない、休憩時には横になれる、というありがたい仕事があった。しかも結構勉強もできるという素晴らしい仕事。ただしデメリットとして夜寝れなかった。しかも結構歩くときは夜通し1万歩以上歩き続け無ければならない。自律神経をずたずたにしてしまう仕事だった。

でも背に腹は変えられない。やるしかなかった。

しかも徐々に悪化していく病状。リハビリを続けるうちに、ふと、「これ、意味あるのかな?」という疑問が湧き出てくる。

そして、ある日。リハビリでいつものようにホットパッド、電気マッサージ、腰の牽引を行って、牽引機から立ち上がったそのときに、その日最大の激痛に見舞われた。

その日を最後にリハビリに通うことをやめた。

そして整形外科の先生に「手術できる病院に紹介してほしい」と言ったけど先生は反対意見だった。「自然治癒が見込める病気なのでもう少し様子を見ましょう」と言われた。

確かに手術をすればそれなりにリスクがあるし、8割は自然治癒が期待できる病気で早まって手術したがゆえに失敗したり、再発したりしたら不幸でしかない。先生の判断も間違いではなかった。でも、あちきは少し運が悪い人間なのだ。

・再び思わぬ形での助言

主にツイッターで病状についてツイートしていたのだけど、その日はたまのFacebookで病状を上げたところ知り合いから連絡があった。

「もし手術を検討しているのなら、一旦ストップしてください」ということだった。どういうことか? 聞いてみたら。

「ある整体の先生が必ず治すって言っているんです」ということ。

正直眉唾だった。でも日に日に悪化していく症状と仕事、家庭とあちき自身も徐々に追い詰められていっており、まさに藁をもすがるという状況になっていた。

整体の話は実は耳にしていた。整体でも椎間板ヘルニアが治ったという話はネットでも散見された。しかし、何度か整体には行ったことがあり、ただのマッサージ屋さんというイメージが付いていてしまっていた。断ろうとも考えたが「必ず治す」という強い言葉にすがったのだ。

場所はなんと他府県になり隣とはいえ電車で1時間半はかかった。電車で行くには少し不便な場所だったので、車で行くことにした。

車といえば座るので椎間板ヘルニアに悪いのではないのか? という疑問にはこう答えよう「最悪である」と。その整体師の言葉だけれども、「腰の負担は寝ているときは0,立ったら1、座ったら3かかる」というもの。そこにあちきの持論だけれども車だと5の負担がかかる、と思った。特にあちきの場合右足に症状が重点的に集中しており更に悪化を招くことになる。



・針での改善

1時間半かかって鍼灸院へ向かった。腰への負担を考えたらタブーだが、電車で行くにはあまりに地理に疎い場所だったので、痛む事を受け入れて車で行った。案の定激痛のためまともに歩けない、脂汗が出るなど地獄の苦しみを味わうこととなった。

ただの一軒家のような外観に若干の不安を覚える。しかし、絶対に治す、という力強い言葉に縋り、入っていった。

それまでの針へのイメージは、針を刺して神経を殺して痛みを感じなくさせるもの、というイメージがあった。

1時間ほど待って治療に入る。足と手だけアルコール消毒した。この時点で不思議だった。神経を刺すなら腰回りじゃないのかな? と思った。

院長による施術が開始した。レントゲンを見て、あちきの体を見てから、スポーツのことや、体の不調などを次々と当てていく。流石に体に詳しい。

そして施術。驚いたことに全く腰回りには触れず足先と親指の付け根あたりに小さな針を打って、「ちょっと5分ほど待ってください」と言われのんびりと横になる。

1,2分経った頃、微妙な感覚を感じる。どうとも言えないのだけれども体の中がムズムズする。意識せずにピクピクいって足先が動く。なんだこれ?と人生で初の体験に戸惑った。

5分後院長が再びやってきて針を抜いた。「どうですか?」と言って体を動かすとほとんど痛みが変わらなかった。「じゃあ、骨盤の位置を変えますね、少し痛みますよ」と言って再び手に針を刺してくりくりとそれを動かす。少し痛みが走った。

再び5分ほど待つ。その間も体の中はムズムズ、体はピクピク動いた。

そして5分後

針を抜いて動いてみると驚くべきことに痛みがほとんど出ずに体を起こすことができた。今まではまるでできなかったことだった。驚愕した。

でも、まだ痛みは残っていたが、100だった痛みが40にまで改善したのだ。

・2回めの針

痛みがまだ残っていたので再び予約を入れた。次の土曜日。待ち遠しかった。これでこの激痛から開放される。と意気込んでいた。

この頃から花粉が出てきてちょっとくしゃみが出だしていた。ご存知の方もおられるかもしれませんが、くしゃみと椎間板ヘルニアの相性は最悪です。あまりの激痛に叫ぶレベルです。こんな激痛から開放されると思うと嬉しくて仕方なかった。

そして、次は車ではなく電車で鍼灸院へ向かった。

いつも足を引きずりながら歩いていたけど、今ではほとんど引きずらずにハキハキと歩ける。ニコニコしながら鍼灸院へ入っていった。

2回めの施術。

ちょっと内容が少し変わっていた。当然だろう。この施術で院長もケリを付けるつもり満々だった。

施術が終わって「?」といった感覚。痛みが少しある。

でも「時間が経つと大丈夫」言われ「そうか! もうこれで大丈夫!」そう思って院を出た。

歩く、なぜか足を引きずる。

「?」感覚的におかしかった。でも院長の言葉を信じて家に帰る。圧倒的に痛みは遠のいたのだが、なぜか足は引きずるし感覚がおかしかった。

家に帰って横になり、片足を上げた。激痛が右足に走る。

治っていなかった。それどころか1回目から悪化していた。意味がわからなかった。

そして、翌日にはMRIの撮影予定が入っていた。



・MRIによる診断後

一度MRI撮影を整形外科の先生から言われたけど諸処の事情で実は断っていた。でも長引く症状と一向に回復しない、むしろ悪化傾向にある病状に、こうなったらやらざるを得ないと腹を括り予約を入れてMRI撮影専門の医院へ。

人生初のMRI撮影となった。

「うるさいので」ということで耳栓を渡される。そんなに音がするのか。と円筒形の機械の中に入る。

手慣れた手付きで中に通される。少しドキドキする。

「ビー」と開始の合図がなる。この程度の音なら大したことないな、と思うがその後15分間ずっと頭に金属製のバケツを被せられひたすらそれをバットで叩かれているレベルの騒音がなり続けた。

たしかにこれを閉所恐怖症の人がやったらやばいな、ということはわかった。

閉所恐怖症ではないけどかなりつらい時間を過ごした。

出来上がったCDRをもって整形外科に行く。そこで初めて自分の病状を客観的に観察することができた。神経の部分を影が半分以上侵食していた。

素人目にも「あ、こりゃあかんわ」という感想しか出なかった。

あれほど手術に対して消極的だった先生も「手術、、しましょうか」と紹介状をしたためていただけることが決定した。

針による治療はこの時点で完全に諦めた。

ここからはあちきの所見だけど、針は改善はする。なんらかの東洋医学の効果で痛みを逃したり骨盤の位置を少し変化させることで改善傾向へ向けることができる。でもあちきのように運が悪かったり、状況次第でそういう改善傾向ではどうしようもない病気の人もいるのだ。

あくまで針は自然治癒へ促す。という意味では良かった。でも残念ながらあちきの病状は悪化スピードのほうが早かったというわけだ。

・手術への決意

仕事のこともありちょっと紹介先の病院のアポイントが取れなかった。1週間以上先の予約だった。できれば後遺症の懸念もあっていち早く手術をしてほしかったが、シフト制で万年人手不足のしごと先に配慮した結果だった。

でも、あちきの思った以上の病状だった。痛みのために仕事の継続が困難になったのだ。「もう無理」と仕事を切り上げてそれから以降仕事を休むことになった。

これなら仕事なんて関係なく最短で予約をとったほうが良かった。いつもあちきの判断は少し遅い。結局は早くやって早く終わらせたほうが仕事先にも自分自身にも迷惑がかからない結果だったように思う。

仕事先からも通いやすいように都会の真ん中にある結構大きな総合病院へ。

朝イチから受付したらすぐ一番に呼ばれた。

一つ懸念があった、新しい病院に行ってまた「自然に治る可能性があるのでもうちょっと様子見ましょう」とブロック注射とか打たれてさらに時間が削られるかもしれない。と思って、もしそういうこと言ったら病院を変えるか、強く行って手術を強行してもらおうと思っていた。

でも、ちょっと診察したらあっさり、「じゃあ、日程はいついつで」という具合に1週間後に麻酔科の診察、その数日後に入院、翌日手術が決定した。

でも、現状コロナ禍であってPCR検査があってちょっとめんどくさい検査が目白押しだった。MRIのお値段も8000円程度あったけど、その日の診察、検査で12000円も吹き飛んだ。これに更に入院代、手術代、、、勘弁してくれー!

その3は続く

【ヘルニア闘病記その3】ついに入院、手術、術後退院まで

【ヘルニア闘病記その3】ついに入院、手術、術後退院まで 結論から言うと二度と味わいたくない経験だった。今後同じく椎間板摘出術をやろうと思っている人の参考になればという思いだけど、なかなか壮絶な体験だっ ...

続きを見る

-雑記
-, ,